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西田 稔(にしだ みのる、1935年1月24日 - 1994年6月12日〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、419ページ〕)は、京都府〔出身のプロ野球選手。 == 経歴 == 立命館高校では平井嘉明と同期。立命館大学へ進学。関西六大学リーグでは1954年春季リーグで優勝を経験。当時の投の二本柱である西尾慈高、紀藤広光がプロ入りしたため、同年秋季リーグからエースとして活躍。しかし大学を2年で中退し、1956年に阪急ブレーブスへ入団。リーグ通算成績は29試合登板、11勝16敗であった〔。 1958年には26試合に登板し6勝をあげる。翌年も28試合に起用されるが、その後は登板機会が減り、1961年限りで引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西田稔 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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